にじいろエッセイ

虹のように、いろいろなことをつらつら書くエッセイ

私が華道ギライになった訳

私は華道がキライだ。

お花そのものは大好きだ。きれいだし心が和むし季節を感じられるし🌼
しかし、「華道」になるとキライになってしまう。それは、最初の先生がまずかったからだ。

中学2年のクラブ活動で、私は華道を選んだ。その時は「お花を活けるって楽しそ〜」くらいだった。

しかし、その時の先生が…

まず、その日活ける花の名前を教えてくれない。何を活けるのか生徒の私達はちんぷんかんぷんなまま始まるのだ。
それから、活けるテクニックも教えてくれない。唯一教わったのは「長い花を奥にして、短い花を手前に活ける」くらいである。

果たして何という花を、どうやって活ければいいのか。もはや放置プレイ状態で私達は花に向き合わされた。
で、どうにかこうにかして花を活けて先生に添削してもらうのだが…
「あ~あ~、こう活けちゃったの〜」と言って先生は私達の作品に手を入れる。「どうしましょうね〜」と言って容赦なくハサミを入れ、花の配置を変えていく。そう、クチはシッカリ入れるのだ。私ではないが、1年間のお稽古で、先生が生徒の作品を褒めて添削なしだったのは、覚えている限りたった1回。
「あ~あ~、こう活けちゃったの〜」毎回こうなのだ。ロクに教えもしないくせに、批判はされるとこっちはイヤになってくる。


そして、最大の事件は学校の文化祭だ。
文化祭ということで華道クラブも作品を展示する。当然、いつもより豪華な花がくるだろうと思っていたが…

目の前に現れたのは、ぷにぷにの肉厚な丸い葉っぱがズラーと両枝に付いた謎の植物…
なんじゃこりゃ…生徒のみんなは絶句して、苦笑いしか出てこなかった。

勉強とは違う脳みそをフル回転させて、なんとか作品を作った。
そして、私はあることを決めた。この作品、先生に添削させない。
「先生、この作品はこのまま出します。添削しないでください」「あら、そう」先生と呼ばれる存在にはっきり抵抗したのはこれが初めてだった。

添削されたら「私の名前を冠した、先生の作品」になってしまう。下手でもいいから「私の作品」を展示したい。今振り返ると、私は無意識にそう思っていたのかもしれない。


結局、あの先生から教わったのは「先生が気に入るように花を活けなければいけない」だった。
それに気がついて、私は華道がキライになった。
ロクに教えもしないで、先生に気に入られるように花を活けるなんてイヤだ😠

華道で人を教える立場になる時、学校の先生のように教育実習みたいな制度はないのだろうか。教え方がヘタな先生に会ったら、華道をキライになる人が増えるだけである。(現に、ここにひとりいる)

コロナウイルスが流行する前、ショッピングセンターで時々華道の作品展をやっていた。子供たちが活けた作品だけの展示もあった。
子供たちよ、良い先生にめぐりあえたかい?華道は好きかい?いつもそんな目で作品を見つめていた。